いまりの語り部屋

いまり(伊万里楽巳)が好きな作品について語るブログ

生きている自分は自分なのか|小説『屍者の帝国』【ファーストインプレッション】

いつもと趣向を変えて。

先日読み終わった小説『屍者の帝国』。手帳に簡単な感想メモを書いていたところ、気づいたら派生した連想も含めてそれなりの分量になっていました。せっかくなので【ファーストインプレッション】として記事に残しておきます。

 

※全面的にネタバレしているので未読の方はご注意ください。

基本情報

あらすじ

屍者復活の技術が全欧に普及した十九世紀末、医学生ワトソンは大英帝国の諜報員となり、アフガニスタンに潜入。その奥地で彼を待ち受けていた屍者の国の王カラマーゾフより渾身の依頼を受け、「ヴィクターの手記」と最初の屍者ザ・ワンを追い求めて世界を駆けるーー

伊藤計劃のみかんの絶筆を円城塔が完成させた奇蹟の超大作。

文庫版裏表紙より

読んだきっかけ

もともと伊藤計劃作品は長編『虐殺器官』『ハーモニー』と読んでいた。さらに去年短編集『The Indifference Engine』も読み、伊藤計劃熱が高まっていた。(この時『虐殺器官』も再読した)。

そこに先日記事を書くために『バーナード嬢曰く。』を読み返していたところ本作に触れたエピソードがあり、ちょうどSF小説を読みたいタイミングだったので新たに買って読んだ。さすがの面白さで一週間程度で読了した。

施川ユウキバーナード嬢曰く。』2巻p55より

irhbby.hatenablog.com

雑観メモ

テーマについて

すごい話だった。SFはジャンルの特色として「現実社会のオルタナティブ」を考えさせることが多く、著者(円城塔)自身も本作をそのように捉えている(「あとがき」より)。「もし人間の意識が『人間種と共生状態にある別の生物(作中では「株菌」と呼ばれる)』の活動によって形成されていたら」という問いは自己存在の実在性に疑問を投げかけ、足元を不安定にさせる。

 

正直なところ、提起されたSF的な問題を充分に理解できているとは思えない。「ストーリー」の奔流に押し流されてページを捲る手が止まらなかった、というのが実態に近い。とはいえ、それは本作を「エンターテイメント小説」と構想していたらしい著者にとって本懐かもしれない。

屍者の帝国』は当初からエンターテイメント作品として構想されていた。狭義のSFでさえない。なんといってもこの小説の世界では、死人が直接的に立ち上がるのだから、科学的な厳密さはゾンビ物と並ぶ程度のものでしかない。ゾンビ物を、眉間に皺を寄せて見る人はあまりいないだろう。

あとがきp521より

余談

エピローグでワトソンは本作の事件をもたらした「菌株」の情報を、自らの内部にインストールすることで秘匿しようとする。"ワトソン自身の意識"も菌株たちの活動によって引き起こされているとするならば、これによりワトソンの意識は変性してしまう可能性が高い。

この部分は士郎政宗攻殻機動隊』の人形使いのエピソードを思い起こさせた。思い出しただけでこれ以上には広がらないが、せっかくなのでメモ。

士郎政宗攻殻機動隊』1巻p344より

執筆形態について

本作は「伊藤計劃の絶筆を、円城塔が大半を書き継ぐ形で完成させた」という形式になっている。

伊藤計劃作品は主要なものには触れており、なんとなく「癖(へき)」みたいなものは感じ取れる(ように自分では思っている)。一方で円城塔作品は未読であり、これが初接触である。そのため「円城塔らしさ」がどこにあるのかは読んでいるだけでは見極めることはできなかった。逆にみれば「違和感を感じさせなかった」とも言える。

 

原案が伊藤計劃なので、本作はどちらかというと「伊藤計劃作品の一つ」と認識されることが多いのではないかと思う。あとがきを読む限り円城塔自身もそういうスタンスであるようであるし、なにより筆者(いまり)がそう扱っている。

しかしテーマやモチーフの「伊藤計劃らしさ」を生かしつつ文庫にして500ページ以上の対策を書き切ったのは紛れもなく円城塔の素晴らしい仕事であり、感想としてもしっかり書き残しておきたい。

ちなみに円城塔の代表作はこの辺りらしい。機会を見つけて読んでみたい。

余談

非常に個人的なことだが、私(いまり)も過去に物書き仲間の友人を亡くしている。

互いに趣味の範囲であり作風も異なるので本作のように「遺稿を書き継ぐ」ということはまずないだろう。しかしいまでも彼の作品を思い出したりすることはある。

物書きにとって「作品が残る」というのはとてもありがたいことなのかもしれない。

引用/パスティーシュが生み出す効果

既存のキャラクターを借用する作りは東浩紀動物化するポストモダン』の議論を思い出す。あるいは宇野常寛ゼロ年代の想像力』で触れたのが先だったか。作品としてはPCゲーム『Fate/stay night』(2004)あたりが嚆矢とされていたと思う。

 

この「歴史をデータベースとして引用する」という手法は2000年代以降の創作では多用されてすっかり一般的になっていると言えるだろう。コミュニケーションの素人研究家としての自分はこの「引用」という手法に興味を持っている(ちなみに文芸的には「パスティーシュ」という名前がつけられているようだ)。

既存作品のキャラクター(正確には「既存作品と"似て非なる"キャラクター」)を登場させることで、読者はそれぞれの「それまでの自分自身の読書体験」を思い出す。名前を出すだけで読者は「この人はこういうキャラクター(人物像)なんだな」という情報を、自発的にかつ自分が受け入れやすい形で脳内のデータベースからダウンロードしてくれる。結果として文章として表現された以上の情報量や印象が受け手に伝わる。

 

本作で個人的にもっとも印象的だった例が「エピローグ」にある。第二部以降で主人公パーティーの一人となっていたミステリアスな美女ハダリ*1が、新しい偽名(コードネーム)をワトソンに告げる。それ自体は本筋とは全く関係ないのだが、主人公ワトソンの「地元」であるホームズ作品群もそれなりに読んでいた自分にとっては非常に強いインパクトを与えた。

 

コミュニケーションを豊かにする非常に興味深い現象だと思う。引用についてもっと詳しく論じている資料はないだろうか。学んでみたい。

余談

最近では映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』において、「人物像を掘り下げる尺が取れない劇場版からの新キャラについて、特徴的な声優をあてることで説得力を持たせる*2」という事例があった。これも「引用」の別パターンではないだろうか。

 

バーナビー大尉のダイナミズム

引用の文脈を切り離してみると、バーナビー大尉の役割が面白かった。

基本的な話のセッティングとして、主人公ワトソンたちはウォルシンガムなる諜報機関のエージェントとして世界を巡るようになっている。諜報(インテリジェンス)の通りに、あるいはテーマが哲学的な内容を含んでいることもあり、作中でも登場人物同士が抽象的な論議を交わすシーンは多い。そんな作品の中でバーナビー大尉は「野生」や「直感」、もっというと「分別はある脳筋」のような役割を担っている。

バーナビー大尉のバイタリティが作中にダイナミズムを与えているように感じた。彼がいなかったら作品からメリハリが失われ、面白さが半減してしまっていたのではないか。

異物感があるからこそ良い効果をもたらすという例として記憶に残るキャラだった。

「非言語の言語」としての音楽

クライマックスシーンにおいて、「菌株」と人間種との直接のコミュニケーションを試みる。そのコミュニケーションは音楽的な形式で表現されている。

フライデー(引用者注:ワトソンの使役する屍者)への接続作業をおえたわたしが顔を上げ、ザ・ワンが襟を正して鍵盤へ向かう。指先が鍵盤を押さえ、離す。何かを打刻するかのように、ザ・ワンは息を詰めて一音一音を正確に刻む。複合建築物(コンプレックス)に張り巡らされたパイプへ蒸気が吹き込み、唸るように旋律を追う。

ザ・ワンの腕から一つの主題が流れ出す。バッハ、小フーガ、ト短調

第三部p449より

このように「音楽が異なる存在とのコミュニケーションツールとなる」という話は比較的多い気がする。断片的な知識になってしまうが『マクロス』シリーズとかは音楽が異星人間交流の鍵だったはず。

 

関連して先日のニュース「バッハの曲を数学的に分析」を思い出していた。

ペンシルベニア大学などに所属する研究者らが発表した論文「Information content of note transitions in the music of J. S. Bach」は、音楽作品を情報ネットワークへと変換し、作品が内包する情報量と伝達効率を調査した研究報告である。この研究では、バッハの楽曲を情報ネットワークとしてモデル化し、楽曲が持つ情報量とその情報をいかに効率よく伝達するかを定量的に評価する。

この路線を推し進めていくと、音楽をより積極的な「情報伝達の形式」として利用できる未来も来るのかもしれない。

www.itmedia.co.jp

 

さいごに

手書きメモを書き写すだけのつもりだったが、始めてみるとさらに連想が膨らんで書き足したくなったり、きちんとした出典情報を載せておきたくて探し出したりと想定の3倍の時間がかかってしまった。

それでもこうしてアウトプットすることで過去の自分の思考とのリンクも作れた気がする。気が向いたらまたやりたい。

 

 

*1:この名前にも元ネタがあるらしいが、教養不足で気づけなかった。→未来のイヴ - Wikipedia

*2:頑張って探したけど一次情報を見つけられなかった……。最低限の出典メモ。

機動戦士ガンダムSEED FREEDOM - アニヲタWiki(仮)【2/27更新】 - atwiki(アットウィキ)